古典にみる家族の物語

「土佐日記」にみる喪失と追悼:旅中に描かれた家族の物語

Tags: 土佐日記, 紀貫之, 家族, 親子, 喪失, 悲しみ, 古典文学, 平安時代

はじめに:「土佐日記」における家族の存在

『土佐日記』は、紀貫之によって書かれたと伝えられる、日本最古の仮名日記文学です。男性である紀貫之が女性の視点から仮名で書くという形式をとっている点も特徴的ですが、この作品全体を通して描かれている重要なテーマの一つに、「旅」と「家族」があります。土佐から京への帰京という旅の出来事が綴られる中で、同乗する家族、特に妻や子どもたちの存在が随所に感じられます。そして、その中でも強く印象に残るのが、都に置いてきた、あるいは土佐で亡くした娘への深い思いです。

この記事では、『土佐日記』における家族の物語、とりわけ亡くなった娘への親の情愛と、それが旅の記述とどのように結びついているのかに焦点を当て、その描写が持つ意味や背景、そして現代の私たちにも通じる普遍的な感情について考察します。

亡き娘を偲ぶ具体的な場面

『土佐日記』の中で、亡き娘への思いが最も強く表れている場面の一つに、土佐を出発して間もない頃の記述があります。正月二日の段で、作者(紀貫之)はふと、かつて正月二日に娘が生まれてきた日のことを思い出します。

かくあるうちに、正月二日になりぬ。ある人、此の国の人のいはく、「この日月は、例の雨にもあらず。風も吹き、あやしく荒れたる日なり。船出すべき日にもあらず。」といへど、船頭なる者どもがいはく、「今日な出さば、いつの日にか出さん。この日和を破りては、えあるまじ。」と、騒がれども、なほ風止まず。浪やまねば、同じ湊にあり。ある人、此の国の人のいはく、「去年も一昨年も、正月には京へ上るとて出づる日には、必ずかくなむありつる。」といひて、去年、此の国にて死にける人の子の、はかなくなりにける時ぞ思ひ出でらるる。いつしか、いづれの人といふことを知らねど、我が子どもどもは、いと大きになりて、旅なれど、いたく苦しがらず。去年、此の国にて生まれたりける女子、一とせになりけるを、京へ率て上るとて、皆人の悲しびしつつ別れけるそこにて、この二日に失せにしかば、なほいと悲し。この二日といふに、生まれけむ子を思へば、去年も一昨年も、この二日は、かの悲しみと苦しみとに、まとはれて過ぐしつるを、今年もまたかかることの重なれるかな。と、ある人、かの亡せたる女子の親、思ひて言へるなり。

(現代語訳:そうこうしているうちに、正月二日になった。ある人、この国(土佐)の人が言うことには、「この日月は、いつもの雨でもない。風も吹き、変に荒れている日だ。船を出すべき日でもない。」と言ったが、船頭たちが言うことには、「今日出さなければ、いつの日に出せるというのか。この天気を利用しなければ、いられない。」と騒がれるが、やはり風は止まず、波もやまないので、同じ湊にいる。ある人、この国の人が言うことには、「去年も一昨年も、正月には京へ上ろうとして出る日には、必ずこのようであった。」と言って、去年、この国で亡くなった人の子が、あっけなく亡くなってしまった時を思い出す。いつのことか、どこの誰ということは知らないが、我が子どもたちは、とても大きくなって、旅に慣れていて、ひどく苦しがらない。去年、この国で生まれた女の子で、一歳になった子を、京へ連れて上るというので、皆が悲しんで別れたあそこで、この二日に亡くなってしまったので、やはりとても悲しい。この二日という日に、生まれたというあの子を思うと、去年も一昨年も、この二日は、あの悲しみと苦しみとに、つきまとわれて過ごしてしまったのに、今年もまたこのようなことが重なったなあ、と、ある人、かの亡くなった女の子の親が、思って言っているのである。)

この記述では、正月二日という日付をきっかけに、土佐で生まれて一年で亡くなった娘への思いが語られます。旅の出発が天候によって阻まれる苛立ちの中で、作者は「ある人」という仮託された存在を通して、亡き娘の誕生日である正月二日と、その子の死によって三年連続でこの日を悲しみの中で過ごしているという事実を語らせます。

この場面からは、以下の点が読み取れます。

当時の社会においては、乳幼児の死亡率は高く、子を失う悲しみは身近なものであったのかもしれません。しかし、それを日記文学の中で、特定の日の出来事と結びつけてここまで情感豊かに描き出すところに、『土佐日記』の文学的な価値があります。また、仏教的な無常観、人生のはかなさといった思想も、背景として影響している可能性が考えられます。

考察と教育的示唆

『土佐日記』における亡き娘への描写は、時代背景や文学的な表現技法を学ぶ上で非常に示唆に富んでいます。

まず、子を失った親の悲しみは、時代や文化を超えた人間の普遍的な感情であることを、この作品は静かに語りかけてきます。平安時代においても、親子の絆が深く、その死を悼む気持ちが現代と変わらないことを、生徒たちは古典を通して実感できるでしょう。

一方で、旅の厳しさや、特定の行事(正月二日)と個人の経験が結びつく当時の生活、そして男性が女性の視点と仮名で日記を書くという独特の表現技法は、現代の私たちには馴染みのない特殊性です。こうした普遍性と特殊性の両方を見出すことで、生徒たちは古典文学が単なる昔の物語ではなく、人間や社会について考えるための豊かな素材であることを学べます。

この場面を授業で扱う際には、以下のような問いかけや切り口が考えられます。

このような問いを通して、生徒たちは本文を深く読み解くだけでなく、自分自身の経験や現代社会と古典を結びつけて考える力を養うことができます。

まとめ

『土佐日記』に綴られた、土佐から京への旅の物語は、単なる紀行文ではありません。その根底には、同乗する家族への眼差し、そしてとりわけ都に置いてきた、あるいは早くに亡くなった娘への深い情愛と喪失感が流れています。正月二日の場面に見られるような、特定の出来事と結びついた亡き子への追悼の念は、「もののあはれ」という日本文学特有の美意識とも響き合い、読者の心に静かに訴えかけます。

この作品に描かれた親子の情愛や喪失の悲しみは、千年以上の時を超えて現代を生きる私たちにも通じる普遍的な感情です。古典文学を通じてこうした人間の普遍的な側面や、同時に時代による社会や価値観の変化を学ぶことは、生徒たちにとって豊かな人間理解へと繋がるでしょう。『土佐日記』における家族の物語は、まさにそのための貴重な一例と言えるのです。