『古今著聞集』に見る「孝」の形:老いた親を背負う僧の物語
導入:説話集に描かれた中世の家族観
説話集は、仏教的な教訓や世俗的な出来事を短い物語として記録したものであり、当時の人々の価値観や倫理観を知る上で貴重な資料となります。鎌倉時代に成立した『古今著聞集』もその一つで、多岐にわたるテーマの説話が収められていますが、その中には親子の関係や、儒教・仏教の思想に基づく「孝」という倫理観にまつわる物語も多く含まれています。
現代の家族の形や親子の関わり方が多様化する中で、古典作品に描かれた家族の物語は、時代背景に根差した特殊性を持つ一方で、人間関係における普遍的な感情や葛藤をも映し出しています。本稿では、『古今著聞集』の中から特に親子の情愛と「孝」というテーマが鮮やかに描かれたある説話に焦点を当て、その内容を解説するとともに、当時の社会における「孝」の意味合いや、現代の家族観との比較を通して、教育的な示唆を考察いたします。
具体的な場面の解説:老いた母を背負う僧
『古今著聞集』巻第六「孝行」には、親に対する深い情愛と「孝」の実践を描いた説話が複数収められています。その中の一つに、三井寺(園城寺)の学僧にまつわる物語があります。
この説話に登場する僧は、三井寺で熱心に学問に励んでいましたが、故郷に残してきた母が年老いて衰弱していると聞き、母を迎えに行くことを決意します。しかし、母はもう自分で歩くことすらままならない状態でした。そこで僧は、母を籠や輿に乗せるのではなく、なんと自らの背中に負ぶって寺へ連れて帰ろうとします。
道中、この僧が大きな荷物のように年老いた母を背負って歩いているのを見た人が、不審に思い話しかけます。すると僧は、「これは私の老い衰えた母です。母を背負って寺に連れて行き、一生懸命養おうと思っているのです。出家者でありながら、これほどのことをするのは、ひとえに母の恩に報いるためです」と答えたと伝えられています。
この場面は、親子の情愛、特に子から親への「孝」という側面を極めて視覚的かつ感情的に描き出しています。僧が母を「背負う」という行為は、物理的な重さだけでなく、子として親を扶養し、その人生の重荷を共に背負うという精神的な覚悟をも象徴しているかのようです。自身の修行や学問よりも、老いた母の世話を優先するという僧の選択は、当時の社会において「孝」が仏道修行にも劣らない、あるいはそれ以上の価値を持つと見なされていたことを示唆しています。
中世日本では、仏教の教えと儒教的な「孝」の思想が融合し、親孝行は単なる倫理的な義務に留まらず、子孫の繁栄や個人の来世における功徳にもつながると考えられていました。この説話もまた、そうした当時の社会や人々の信仰心、そして親子の絆に対する理想的な姿を読者に伝えることを目的として語り継がれたと考えられます。
考察と教育的示唆
この説話から読み取れる親子の情愛は、時代を超えた普遍的な感情と言えるでしょう。子が親を思い、その幸福や安寧を願う気持ちは、現代社会においても多くの人が共感できるのではないでしょうか。しかし、同時に当時の「孝」のあり方には、現代とは異なる価値観や社会構造が見られます。
当時の「孝」は、子が親に対して絶対的な服従と献身をもって応えるべき強い規範として存在しました。特に、仏教と結びついた「孝」は、親の恩に報いることが自身の救済にもつながるという思想のもと、自己犠牲的な行動をも厭わない姿勢を是としました。これは、家制度が強く、親子の関係が現代よりも縦の繋がりとして厳格に捉えられていた当時の社会背景が影響しています。
現代の家族関係は、核家族化、共働き、個人の権利意識の向上など、様々な変化を経てきました。親子の関係は、かつてのような絶対的な縦の関係性から、対等な人間としての相互尊重を重視する傾向にあります。親の扶養義務も、法律で定められてはいるものの、かつてのような規範意識や社会全体の期待は変化しつつあります。
この説話を授業で扱う際には、こうした普遍性と特殊性の両面に焦点を当てることが教育的な示唆に繋がります。
- 普遍性への問いかけ: 老いた親を思う子の気持ちは、現代でも共通する感情か? 自分だったら親のためにどのようなことができると考えるか?
- 特殊性への問いかけ: この説話における僧の行動は、現代社会ではどのように受け止められるか? なぜ当時の社会ではこのような「孝」のあり方が理想とされたのか? 当時の仏教や社会制度が親子の関係にどう影響していたか?
- 価値観の変遷: 時代によって「家族の絆」や「親孝行」の形はどのように変化してきたのか? その背景には何があるのか?
- 古典から学ぶこと: 古典文学を読むことで、現代とは異なる価値観や倫理観に触れることの意義は何か?
説話文学は、物語を通じて人間に大切なことを伝えるという点で、生徒にとって身近な「物語」として入りやすい側面もあります。この説話を通して、古典が単に過去の遺物ではなく、人間の普遍的な感情や、時代による価値観の多様性を理解するための豊かな資源であることを伝えることができるでしょう。
まとめ
本稿では、『古今著聞集』に収められた、老いた母を背負う僧の説話を取り上げ、中世日本における親子の情愛と「孝」という倫理観の一端をご紹介しました。この説話は、子が親を思う普遍的な感情を描きながらも、当時の仏教や社会制度と結びついた強い規範意識としての「孝」という特殊な側面も映し出しています。
古典文学に触れることは、過去の時代の生活や価値観を知るだけでなく、現代社会や自身の人間関係を相対化し、より深く理解するための視点を与えてくれます。『古今著聞集』に描かれた「孝」の物語は、時代によって変化する家族の形や倫理観に気づかせると同時に、親子の間に流れる根源的な情愛の存在を改めて私たちに教えてくれるのではないでしょうか。古典にみる家族の物語は、現代に生きる私たちにとって、自身の足元を見つめ直す貴重な機会を提供してくれるのです。