古典にみる家族の物語

才学の誉れ、そして親子の情愛:十訓抄 紀長谷雄の物語

Tags: 十訓抄, 紀長谷雄, 孝行, 親子の絆, 説話

はじめに:『十訓抄』にみる教訓と家族

『十訓抄』は鎌倉時代中期に成立した説話集で、「十の教訓」に基づき様々な分野の逸話を集めて構成されています。その内容は、学問、忠節、孝行、正直など多岐にわたり、当時の社会の価値観や人々の生き様を知る上で貴重な資料となります。特に、巻一では「人の上に立つべき者、徳行を本とすべき事」という教訓のもと、才学に優れ、立派な行いをした人物の逸話が紹介されています。

この記事では、『十訓抄』巻一の第八話に収められている、平安時代中期の学者・漢詩人である紀長谷雄(きの はせお)に関する説話に焦点を当てます。この物語は、長谷雄の並外れた学才を示すと同時に、彼が父に対して示した深い情愛、すなわち「孝行」のあり方を鮮やかに描き出しています。

紀長谷雄と父:極限の状況で示された絆

物語は、紀長谷雄が優れた文章生として名声を得ていたことから始まります。まさに「才学の誉れ」高く、将来を嘱望されていた彼の父が、あるとき重い病にかかってしまいます。当時の医療技術では手の施しようがなく、あらゆる薬や加持祈祷も効果を見せません。父の容態は悪化の一途をたどり、死期が迫っていることが誰の目にも明らかになります。

孝行の心篤い長谷雄は、父の苦しみと自身の無力さに絶望します。彼はある夜、庭に出て天を仰ぎ、涙ながらに一心に祈りを捧げます。その祈りの内容は、「私の持っている学問や才能、あるいはこれから得られるはずの栄達、そして自身の寿命そのもの全てを削り取ってでも良いから、父の病を治め、命を長らえさせてほしい」という壮絶なものでした。

この祈りが通じたのか、あるいは他の要因があったのかは定かではありませんが、その後、奇跡的に父の病は快方に向かい、回復することができたと語られています。

この場面は、『十訓抄』が伝えるべき教訓の一つである「孝行」が、単なる形式的な行いではなく、子が親を思う切実で深い情愛に基づいていることを示しています。特に、自らの最も大切なもの(学問、才能、寿命)を投げ打ってでも親を救いたいと願う長谷雄の姿は、当時の理想とされた孝行の極致として描かれています。

背景には、儒教思想における「孝」の重視があります。儒教では、孝はあらゆる徳行の基本とされ、親に対する敬愛と奉仕が個人の倫理観の根幹をなすとされました。また、当時の社会では仏教信仰も深く根付いており、加持祈祷に頼る描写は、病に対する当時の人々の向き合い方や、宗教的な力への期待を示しています。学問で立身出世することが期待される人物であっても、肉親の危機に際しては、その才能をも犠牲にして願うほどの情愛を持つべきだという価値観が読み取れます。

考察と教育的示唆

紀長谷雄の物語から読み取れる親子の情愛や孝行の精神は、時代を超えた人間の普遍的な感情に触れる部分がある一方で、当時の社会や倫理観に根差した特殊性も見て取れます。

子の親を思う気持ち、病気の家族を案じる心、そしてそのために何かを犠牲にすることもいとわない献身的な愛情は、現代の家族関係にも通じる普遍的な感情と言えるでしょう。しかし、自らの学問や寿命を差し出すというほどの献身は、現代の孝行の概念からは離れた、当時の儒教的・仏教的な価値観や極限状況における誇張表現とも捉えられます。

この物語を授業で扱う際には、まず「紀長谷雄はなぜ自分の学問や寿命を捧げようとしたのか?」という問いかけから始め、当時の「孝行」が現代のそれとどう違うのか、生徒自身が考えるきっかけを与えることができます。

このように、物語の表面的な内容だけでなく、その背景にある当時の社会制度、慣習、倫理観に踏み込むことで、古典文学を通して人間関係の普遍性と時代による価値観の変化の両方を学ぶことができます。文学作品は、単なる物語としてだけでなく、異なる時代の人間関係や倫理観を理解するための窓として機能することを伝えることができるでしょう。

まとめ

『十訓抄』に収められた紀長谷雄と父の物語は、平安時代の優れた学者による親への深い情愛を描いた逸話です。この物語は、子が親を思う普遍的な気持ちを示唆すると同時に、当時の儒教的な孝行のあり方や、学問と家族への献身といった価値観を私たちに伝えてくれます。

紀長谷雄の極限における祈りは、現代の私たちから見ると驚くべきものかもしれません。しかし、その根底にある親子の絆や、大切な家族のために尽くしたいと願う心は、時代を超えて人々の共感を呼ぶものです。古典文学に触れることは、こうした普遍的な感情や人間関係の本質に気づかせてくれるだけでなく、当時の社会や価値観を知ることで、現代の家族観を相対化し、より深く理解するための視座を与えてくれます。紀長谷雄の物語は、『十訓抄』が説く教訓の一つとして、今なお私たちに大切な示唆を与えてくれると言えるでしょう。